【映画】蜜蜂と遠雷のタイトルの意味とは?原作者恩田陸の意図や小説との違いについても

 

映画『蜜蜂と遠雷』が、2019年10月4日(金)に公開されます。

恩田陸さんの直木賞・本屋大賞ダブル受賞作の小説が原作ということもあって、

大変話題になっています。

 

とても不思議な印象をうけるタイトルでいったいどのような作品なのか?

気になります。

 

ということで映画『蜜蜂と遠雷』のタイトルの意味やタイトルに込められた原作者

恩田陸さんの意図、また原作小説との違いについてまとめてみました。

 

映画『蜜蜂と遠雷』予告【10月4日(金)公開】

 

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【映画】蜜蜂と遠雷のタイトルの意味とは?

 

映画『蜜蜂と遠雷』は、恩田陸さんの同名小説の実写化作品。恩田陸さんといえば、

その独特な世界観で幅ひろいファンを魅了してきました。

 

ファンタジー、SF、ミステリーなど、そのジャンルは縦横無尽。生粋の青春ものから、

陰惨な殺人事件を題材にした作品など、同一人物が作者だとはとても思えない作風と

なっています。

 

そんな恩田陸さんの今作、映画『蜜蜂と遠雷』は、そのタイトルも独特としか

言いようがありません。いったいこのタイトルの意味とは、どのようなものなのか?

 

映画『蜜蜂と遠雷』は、音楽にまつわる青春ストーリー。そのためタイトルの意味も音楽

が関係していました。原作小説の中には、蜜蜂を音符に例える箇所があります。

明るい野山を群れ飛ぶ無数の蜜蜂は、世界を祝福する音符であると。

そして、世界とは、いつもなんという市場の音楽に満たされて居たことだろう。

 

一方遠雷については、作中で

遠いところで、低く雷が鳴っている。冬の雷。何かが胸の奥で泡立つ感じが

した。

 

稲光は見えないと表現していて、姿や形は見えないが存在が圧倒的であることが

伝わってきます。

 

この作者の表現にもタイトルへの思いが含まれているのかもしれません。

蜜蜂は社会性昆虫なので、人間の社会性に置き換えられているとしたらどうでしょう。

 

そして遠雷は遠くで聞こえる雷を示しており、雷は『神の怒り』と表現されることも

多いです。

 

タイトルの意味として蜜蜂と遠雷は、人間と神を言い換えているとも言えるのでは

ないでしょうか。

 

また養蜂家の息子である風間塵が『蜜蜂』を指しているとも考えられています。

そしてコンクール前に亡くなってしまったホフマンは、もう会うことができないため

遠い神のような存在になっており『遠雷』を意味しているのかもしれません。

 

蜜蜂は、社会性昆虫、人間社会、音符、風間塵。

遠雷は、遠くで聞こえる雷、神、ホフマン。

 

社会、世の中、音符と遠くで聞こえる音(雷)、神と人間、ホフマンと風間塵、

世の中は音(音楽)で包まれている様子、今作で物語の肝ともいえる風間塵とホフマン

の関係性や教え全てがつながっているのだと考えられます。

 

世の中は音楽に包まれていてその中で人間は生きている。

音楽=命

 

また物語からすると、音楽(コンクール)を通して、若い彼らピアニストの動きや

彼ら自身が命そのものです。こういったことからも、蜜蜂と遠雷というタイトルには、

こういう意味が含まれているのではないでしょうか。

 

小説を読み終えた人でも「タイトルの意味が腑に落ちない」「なんでこのタイトルに

なったの」など、タイトルに対して気になっている人が多いです。

 

恩田陸さんの世界観を考えれば、意味がないとは思えませんので、映画を観れば、

自ずと伝わってくるのかもしれませんね。

 

 

【映画】蜜蜂と遠雷の原作者の意図

映画『蜜蜂と遠雷』の原作小説で、恩田陸さんがタイトルに込めた意図とは

何だったのでしょうか?

 

恩田陸さんは、これまでにも数多くの作品を発表し、文学賞を総なめにしてきました。

『夜のピクニック』で、本屋大賞と吉川英治文学新人賞をダブル受賞。『ユージニア』

で日本推理作家協会賞を受賞。『中庭の出来事』で、山本周五郎賞を受賞。

そして『蜜蜂と遠雷』で、直木賞と本屋大賞をダブル受賞したのです。

本屋大賞は2度目となりますから、凄すぎます。

 

これまでの作品のタイトルを見てみると『蜜蜂と遠雷』以外にも不思議な感じのもの

ばかりだということに気づきます。ちなみに『夜のピクニック』は青春ストーリー、

『ユージニア』は謎に満ちた殺人事件がテーマのミステリー、『中庭の出来事』は

現実と虚構が入り混じる摩訶不思議な物語。タイトルからは想像がつかないような

ものばかりです。

 

『蜜蜂と遠雷』は、若いピアニストたちがコンクールを通して奮闘していくさまを

描くという物語でした。この小説で恩田陸さんは、人間の持つ才能について追及して

いました。

 

恩田陸さんは「才能があるということは持久力があること」だと感じたとのこと。

ここが恩田陸さんの執筆の意図といえるのではないでしょうか。

 

執筆にあたっては、本物のピアニストの演奏を何度も聴きに行ったという熱心さを

見せていたそうですから、恩田陸さん自身も相当な持久力の持ち主といえます。

 

こういったことを見ても恩田陸さんにとって『蜜蜂と遠雷』は、かなりこだわりの強い

作品だったといえるでしょう。どうしてこのような難解なタイトルへとつながったのか

には謎も残りますが、物語を通して彼らの命の響き(音)を感じて欲しかったのでは

ないでしょうか。

 

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【映画】蜜蜂と遠雷の小説との違い

 

『蜜蜂と遠雷』は、映画と小説でどういった違いがあるのかも気になります。

映画では、芳ヶ江国際ピアノコンクールの予選に出場する、栄伝亜夜、高島明石、

マサル・C・レビ=アナトール、風間塵の活躍と成長が描かれます。

 

4人の若いピアニストたちは、みんな異なった背景を持っていますので音楽だけでは

なくこういった部分にも注目となりそうです。

 

一方、原作小説のほうでは、やはり、栄伝亜夜、高島明石、マサル・C・レビ=アナ

トール、風間塵の4人が、芳ヶ江国際ピアノコンクールに予選から本選まで挑んでいく

熱い戦いが展開されていました。

 

以上からすると、両者のあいだにはそこまで大きな差はないようです。しかし原作小説

を全て表現することが難しいため、多少の変更はあったかもしれませんがはっきりした

情報がありません。

※情報が入り次第、追記します。

 

こちらも合わせてご覧ください。

 

 

まとめ

タイトルだけではなく、その内容もとても興味深い映画『蜜蜂と遠雷』。

タイトルの意味や原作者の意図を確かめずにはいられません。

恩田陸ワールドを体感したいです!

 

公開は、2019年10月4日(金)

見逃せませんね。

 

最後までありがとうございました。

ゆうすけ

 




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