ミッドウェイ(映画)山口多聞はなぜ人殺し多聞と呼ばれたのか?経歴や死因についても

 

映画『ミッドウェイ』2020年9月11日(金)に公開されます。

 

スペクタルの巨匠ローランド・エメリッヒ監督が日本の運命を変えた3日間として

ミッドウェイ海戦を描いた戦争映画。

 

そして今作では、豊川悦司さん、浅野忠信さん、國村隼さんなど日本人キャストも

ミッドウェイ海戦において重要人物を演じるということで話題です。

 

ということで今回は、前回、前々回に引き続き、今作で登場するミッドウェイ海戦

では外せない、日本軍の山口多聞について、経歴や死因、またなぜ「人殺し多聞」

と呼ばれたのか?についてまとめました。

 

 

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ミッドウェイ(映画)山口多聞のプロフィール経歴

太平洋戦争を題材にした戦争映画ということで、真珠湾攻撃からミッドウェイ海戦に

至るまでを史実に基づき描かれている、映画『ミッドウェイ』。

 

ミッドウェイ海戦は、そのタイトル通り、メインとなる戦いです。

 

そしてそんなミッドウェイ海戦の中心人物の1人として挙げられるのが、山口多聞

ではないでしょうか?

 

映画『ミッドウェイ』においては、山口多聞役は浅野忠信さんが演じます。

さてそんな山口多聞とは、どういった人物だったのか確認していきましょう。

 

 

1892年(明治25年)8月17日 – 1942年(昭和17年)6月5日)東京都小石川区出身

旧松江藩士・山口宗義の三男として生まれる。日本の海軍軍人。海兵40期次席・

海大24期次席。ミッドウェー海戦において戦死。最終階級は海軍中将。

 

 

山口多聞は、1892年8月17日、東京府(現在の東京都)に生まれました。父親は、

旧松江藩士で大蔵省勤務、日本銀行理事の山口宗義。兄は三菱銀行常務の

山口堅吉、その嫁の山口テルは大久保利通の姪。

 

さらに叔父には建築家の山口半六、学習院院長の山口鋭之助がいます。

先祖は、豊臣秀吉のもとで活躍した山口宗永。

 

多聞という名前は、楠木正成にあやかったもので、彼の幼名だった多聞丸に由来して

いるとのこと。

 

このように、エリート家系に生まれ育った山口多聞は、開成中学、海軍兵学校と進学

していき、海軍少尉、海軍中尉、海軍大尉と、あいついで昇進していきました。

 

1918年には第一次世界大戦に参戦し、プリンストン大学への留学を経て、1924年には

海軍少佐に、1928年には海軍中佐に昇進。

 

やがてきわめて優秀にも、海軍大学校を次席で卒業して、ロンドン海軍軍縮会議全権

委員随行員になりました。

 

ロンドン海軍軍縮会議においては、山本五十六と共に条約の締結に否定的な立場を

取っています。

 

1932年には海軍大佐に昇進をはたし、1934年には在アメリカ日本大使館付武官に就任。

さらに五十鈴艦長、伊勢艦長となるなど、海軍軍人として順調に出世を遂げていきます。

 

1937年に日中戦争が勃発するなか、1938年には海軍少将に昇進をはたし、1940年には

第一連合航空隊司令官に就任し、重慶爆撃を指揮していきます。

 

同年、第二航空戦隊司令官にした山口多聞は、1941年、太平洋戦争のキッカケとなった

真珠湾攻撃に参戦し、これを見事に成功させました。

 

しかしながら1942年に参戦したミッドウェイ海戦では大敗を期してしまい、このことは

日本が太平洋戦争で敗戦することへとつながっていきます。

 

1942年6月5日、ミッドウェイ海戦において、壮絶な戦死を遂げることに。

まだ49歳という若さでした。その後、海軍中将に昇進しています。

 

このように壮絶な、まさに完全燃焼といった感がある人生を送った、山口多聞。

映画『ミッドウェイ』では、浅野忠信さんによって、どのようなキャラクターとして

描かれていくのかが、楽しみです。

 

 

 

なぜ人殺し多聞と呼ばれたのか?

 

さて山口多聞といえば、とあるあだ名によって、とても有名な人物でもあります。

英雄的な人物であるだけに、てっきりポジティブな感じのものかと思いきや、かなり

ひどいものでした。

 

それはなんと「人殺し多聞」と呼ばれていたのです。

 

確かに軍人として戦闘に加わったわけですが、なぜ山口多聞は、このように呼ばれる

ことになったのでしょうか。

 

それは、1940年の重慶爆撃1941年の真珠湾攻撃にありました。

 

まず重慶爆撃では、護衛戦闘機がないにもかかわらず、爆撃を実行したせいで

犠牲者を出してしまったこと。続いて真珠湾攻撃では、日がな一日、航空部隊に

すさまじい訓練を強いてその結果、事故が相次いだということでした。

 

映画『ミッドウェイ』では、山口多聞のこういった一面にも注目していきましょう。

 

 

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山口多聞の死因

 

前序ように山口多聞は、ミッドウェイ海戦で戦死を遂げました。

 

映画『ミッドウェイ』での描写も気になるだけに、山口は、どのように最期を迎えた

のかが気になります。今作に登場する山本五十六は暗殺、南雲忠一は自決でした。

さて山口の最期はどのようなものだったのでしょうか。

 

搭乗していた飛龍が攻撃を受け、飛行甲板を破壊され発着艦不能となり、沈没して

しまいます。

 

なおこのとき山口は、総員を飛行甲板に集合させ「皆が一生懸命努力したけれども、

この通り本艦もやられてしまった。力尽きて陛下の艦をここに沈めなければならなく

なったことは極めて残念である。どうかみんなで仇を討ってくれ。ここでお別れする」

告げる。

 

そして皆で水盃をかわし皇居を遥拝し聖寿の万歳を唱え軍艦旗と将旗を降納した。

 

部下は退艦を嘆願したが、山口は受け入れず、二航戦参謀、飛龍副長、飛龍各科長

(幹部)は飛龍と共に沈むことを申し出たが、山口と飛龍艦長加来止男大佐は

「二人だけでよい」として退去を命じる。

 

また首席参謀・伊藤清六中佐が「何かお別れに戴くものはありませんか」と頼むと、

山口は黙って自分の被っていた戦闘帽を渡した。そして訓示のあと退艦を願う

部下達の制止を振りきりマスクを被り艦橋に昇り、そのまま姿を消した。

 

今作でもこのシーンはきっと描かれているはずです。

心に残る名シーンになることは間違いない。

 

 

 

山口多聞の最後の言葉に隠された人柄

 

山口多聞の最期についてはお話しましたが、天皇(国)の戦艦を沈没させる結果に

なったことを悔やみつつ、総員に仇を討つよう頼んだ。

 

そして最後のセリフは「ここでお別れする」だった。

 

浅川正治(飛龍主計長)によれば「まるで散歩の途中でさようならをいうように淡々と

していた」と回想している。

 

このことからも潔く、度胸の据わった人物であることは理解できる。

 

山口は当時の海軍の部将中ではナンバーワンの俊英であり、頭はシャープで、海兵の

席次が優秀な人が戦闘でパッとしなかったのに比べ、山口は勝負度胸も太く、見識も

優れ、判断行動ともに機敏であったといわれている。

 

また彼の死後、同僚や上官からは、

「潜水艦を専務とするも剛毅果断にして見識高い」

「山口の死は一時に大艦数隻失う以上の損失」

「部内にも名望ある三拍子も四拍子もそろった名提督」

「山口を機動部隊司令長官にしてあげたかった。彼の下でなら、喜んで一武将として戦ったのに」など

 

その死を惜しむ声が多くよせられている。

 

山本五十六を暗殺する、後の(海軍甲事件)を計画する際に、チェスター・ニミッツ

(アメリカ太平洋艦隊司令長官)は、山本が死んでも有能な後継者が出てきては困る

と懸念した。

 

ところが部下の「山口多聞は有能であったが、既にミッドウェー海戦で死んでいる

ので問題ない」という意見を採用し、作戦を決行したと述べている。

 

敵軍にもその優秀さは伝わり、恐れられえていたということですね。

 

 

こちらも合わせてご覧ください。

 

 

 

まとめ

今回、山口多聞についてまとめましたが、勇猛果敢、頭脳明晰、判断力にも優れなど

かなりの猛将であったにも関わらず、戦地から数百通のラブレターを贈っているほど

の愛妻家だったということ。

 

どれだけ悔しかったのか?戦争って酷いとしか、言いようがない。

一つの作品としては、面白いのかもしれないが、やはり戦争ものは嫌いです!

 

公開は、2020年9月11日(金)

 

 

 

最後までありがとうございました。

ゆうすけ

 

 

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