望み(映画)のタイトルの意味とは?雫井脩介の意図やメッセージについても

 

映画『望み』が、2020年10月9日(金)に公開されます。

 

雫井脩介さんの同名小説が原作で、山田風太郎賞にノミネートされるなど、高い評価

を受けている作品。思春期の息子が殺人犯扱いされることになった家族を描くという、

社会派ミステリーで、その注目度も高くなっています。

 

ということで今回は、映画『望み』のタイトルの意味やタイトルに込められた雫井脩介

さんの意図やメッセージについてまとめました。

 

 

映画『望み』本予告

 

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望み(映画)のあらすじ

 

一級建築士をしている石川一登は、妻の石川貴代美、高校生の息子の石川規士、

中学生の娘の石川雅と何不自由なく暮らしていました。

 

ところがプロを目指してた規士は、サッカーを辞めることになる。それが元で

自暴自棄になり交友関係が乱れ、顔にアザを作って帰ってきたり、無断外泊する

など気になる行動するようになる。

 

規士の隣の部屋の雅は、規士の電話の会話が聞こえてくるようで「杏奈」という

同級生と付き合っていたが最近別れたこと、「あいつをなんとかしないとこっちが

やられる」といった内容の話をしていたことを両親に伝えました。

 

父親の一登は、少しの説教と叱咤激励した、母親の貴代美は規士を信じ何も言わず

見守っていた。

 

ところがそんなある日、貴代美は規士の部屋のゴミ箱にナイフの箱を見つける。

一登はナイフの使いみちを規士に尋ねるが答えなかった。仕方なくナイフは一登が

預かることにします。

 

それから少したったある日の土曜日、規士が外出後、帰宅せず、無断外泊しました。

翌日の昼になっても帰って来ない規士を心配した貴代美は規士にメールをしました。

 

ところがなかなか返信がなく、再度メールをするとやっと返信がきました。

「いろいろあってまだ帰れない。でも心配しなくていいから。またメールする」と

返信があり、貴代美は少し様子をみることに。

 

夕方になり、雅が塾から帰って来たので、規士に連絡するよう頼んだ。

しかしメールをしても返事もなく、電話しても電源を切っていると言われる。

 

仕方なく3人で外食に向かう。途中、パトカーのサイレンの音が鳴り響いていた。

その夜、規士の同級生が殺害されたというニュースを知る。

 

不審車から何人かの少年が逃げ出し、その車のトランクから10代の少年の遺体が

発見されたようだった。

 

もしかしら・・・。貴代美は冷静さを失っていたが、一登がそれを窘めた。

 

一登に全くの不安がなかったわけではなかったものの、まさかという思いがあった。

それでもやはり気になったのか、一登は警察に連絡し、規士が昨晩から帰ってこない

ことを相談する。担当署員は、事件性が今のところ見られないことからもう少し様子

をみること、友人関係を調べてみてはどうかとアドバイスを受ける。

 

翌朝になっても規士は帰ってきませんでした。

 

新聞には、事件の被害者が高校1年生の倉橋与志彦だと判明した。

規士でなことに安心した一登と貴代美だったが、雅が聞いていた規士の電話の会話で

「ヨシヒコ」という名前を聞いたと告げたことで貴代美の不安が一気に膨らんだ。

 

昨夜の電話のことを聞くため、戸沢署の警察官が尋ねて来ました。

 

その警察官の話によると、与志彦が普段から行動を共にするグループに規士がいること

や半月前からグループ内で諍いがあったこと、また少年たちの中には事件前後で行方が

分っていない少年が複数いること、そしてその中に規士も含まれているということを聞

かされます。

 

警察が名言こそしなかったが、規士が事件に関与してることは明らかだった。

これをキッカケに、石川家の平穏な日常は崩壊してしまうことになるのでした。

 

無実望む父親・一登とたとえ犯人であっても生きて欲しい望む母親・貴代美

のそれぞれの思いが入り交じる。

 

 

 

望み(映画)のタイトルの意味とは?

 

映画『望み』は、短くて、それゆえに何となく意味深なタイトルですよね。

それでは、この「望み」とは、どのような意味だったのでしょうか?

 

「望み」自体は、当然、「希望する」という意味です。

映画『望み』では、誰が何をどう希望しているのかが気になります。

 

こちらは息子の規士が行方不明になったあげく、その友人が殺害されるという事件が

起こったことで、息子が加害者なのか、被害者なのか、両親の一登と貴代美、そして

妹の雅が葛藤していくなかで抱いていく様々な『望み』を意味していました。

 

このような内容の作品なら真相究明の方が主眼になりそうですが、敢えてヒューマン

ドラマ要素を強めたのは、雫井脩介さんの慧眼だったと言えるでしょう。

 

 

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タイトルに込めた雫井脩介の意図やメッセージとは?

 

改めて家族について考えさせらる映画『望み』。

 

それでは本作品のタイトルに雫井脩介さんが込めた意図やメッセージは、何だった

のでしょうか?

 

最終的に死体となって見つかるものの失踪し、一時は加害者扱いされることになる

規士に対して、石川家の人々の考え方は、それぞれ異なっていました。

 

父親の一登は、仮に規士が亡くなっていても、あくまで加害者であってほしくないと

思っていました。

 

これに対して母親の貴代美は全く逆で、仮に規士が加害者であっても、とにかく

生きていて欲しいと思っていたのです。

 

そして妹の雅は、規士が嫌いなわけではありませんが自分の将来に兄の事件で

悪影響が出てしまうことは、なんとしても避けたいと思っていました。

 

たとえ家族であっても、殺人事件の加害者にされた途端、これだけ異なった考えが

渦巻くとは、とても人間らしくある一方、ある意味、怖くもあります。

 

雫井脩介さんは過去に『犯人に告ぐ』『検察側の罪人』といった社会派の問題作を

複数送り出してきました。それだけに映画『望み』の原作小説も、殺人事件という

テーマを使って、家族の微妙な心理を描きだしたかったに違いありません。

 

しかしこれには答えがないように感じます。

どれもが正解で誰もが同じ立場になれば、同じように考えるのではないでしょうか。

 

最後は規士も殺されていて、あまりにも残酷な終わり方ですが、結局被害者だった

わけで心の何処かにはホッとした感情が全くなかったとは言えないと思う。

 

残された家族にとっては、加害者ではなかったことが救いではあるのだが、

これからもずっと自分の感情と向き合い戦っていかなくてはならないという

現実(毎日)が待っているということが辛く残酷。

 

 

この作品で雫井脩介さんが伝えたかったメッセージは、

 

「たとえ血が繋がってようが、どんなに仲が良くても話さなければ何も伝わらない」

「大切な人の言葉により一層耳を傾けよう、もっと目を凝らして見てみよう」

 

だと感じました。

 

 

あの時、もっとしっかり話を聞いていれば・・・。

あの時、もっと執拗に話をするように迫っていたら・・・。

 

一登や貴代美は、規士の亡骸を前にきっと後悔したはずです。

 

 

こちらも合わせてご覧ください。

 

 

 

まとめ

映画化ということで、雫井脩介さんの新たな代表作の1つとなるのは確実。

 

これまで家族のドラマや少年問題を扱ったミステリーは多々ありましたが、

映画『望み』はさらにこうしたことを深くえぐり考えさせられる作品。

 

事件は解決しますが、残された遺族にとっては、これからが戦いなのかもしません。

なんのために息子は死んだのか?なぜ殺されなくてはならなかったのか?理解し

受け止めなければなりません。

 

ここでも父親と母親、妹とのそれぞれの考えや望みがあるのでしょうね。

 

公開は、2020年10月9日(金)

 

最後までありがとうございました。

ゆうすけ

 




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