線は僕を描く(映画)のタイトルの意味とは?原作者(砥上裕將)の意図やメッセージを考察

 

映画『線は僕を描く』が、2022年10月21日(金)に公開されます。

 

砥上裕將の青春小説「線は、僕を描く」を映画化。水墨画の美しさに魅了された

大学生の成長と再生を描いた作品。

 

ということでこの記事では映画『線は僕を描く』のタイトルの意味や原作者・

砥上裕將がこのタイトルに込めた意図やメッセージについて考察しました。

 

 

映画『線は、僕を描く』予告【10月21日(金)公開】

 

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線は僕を描く(映画)のタイトルの意味とは?

 

映画『線は僕を描く』とは、詳しくは後述しますが、それまで普通の生活を

送っていた大学生の霜介が、ひょんなことから水墨画と出会い、その世界の

虜になっていく、という物語。

 

しかしそうであるならば、タイトルは『僕は線を描く』となっているのが

自然ではないでしょうか。

 

ではなぜ『線は僕を描く』と真逆になっているのかが興味深いところ。

 

『線は僕を描く』というタイトルは、映画の内容的に、線=水墨画、僕=霜介

だったものとみられます。

 

つまり、線=水墨画が僕=霜介を成長させていくという意味だったのではないか

と考えられます。何とも奥ゆかしい意味のタイトルではないでしょうか。

 

この部分は、次でご紹介する原作者である砥上裕將が同名原作小説において

『線は僕を描く』というタイトルに込めた意図にもつながっていきます。

 

 

 

原作者(砥上裕將)がタイトルに込めた意図

 

原作者である砥上裕將が『線は僕を描く』というタイトルに込めた意図は、

水墨画に対する情熱と小説としての表現へのこだわりでした。

 

実は、小説家であるだけではなく、水墨画家でもあった砥上裕將。

 

そんな砥上裕將は、今まで自らが、春蘭、菊、薔薇、葡萄といったものを

水墨画として描くにあたって、修練してきたことを思い出したといいます。

 

水墨画としての描き方を知っているという部分ではなく、実際に描けるように

なるまで繰り返し取り組んできたという部分を大切にしながら、小説として

言葉に置き換えてみたというのです。

 

つまり、線=水墨画、僕=霜介だっただけではなく、僕=砥上裕將自身でも

あったということですね。

 

 

 

原作者(砥上裕將)がタイトルに込めたメッセージ

 

『線は僕を描く』というタイトルに対して、原作者・砥上裕將が込めた

メッセージですが、これについても、砥上裕將自身が語っていました。

 

砥上裕將は、原作小説に対して「日本水墨画に対する願い」を込めていたと言います。

また「自然の美しさ」「伝統文化」「誰かと出逢う喜び」「自らに向かい合っていく

静かな時間」といったものを思って欲しいとのこと。

 

小説家としても、水墨画家としても、水墨画というものに対する強い愛に

溢れていたというわけです。

 

さてそんな映画『線は僕を描く』は、映画『ちはやふる』で有名な小泉徳宏が

監督を務めるほか、人気俳優の横浜流星が霜介役で主演を務めています。

 

つまり砥上裕將といい、小泉徳宏監督といい、優れたネーミングセンスの

持ち主であったと言えるのではないでしょうか。

 

また横浜流星をはじめ豪華俳優陣の表現力にも期待は高まります。

 

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線は僕を描く(映画)のあらすじ

 

大学生の霜介は、学業の傍らでアルバイトにも励むという、いたって普通の

大学生活を送ってきました。

 

ところがそんなある日、霜介の日常は一変することになる。

 

霜介がアルバイトで絵画展の設営現場へと訪れたとき、そこには水墨画が

ありました。この時から霜介は、白と黒という二色だけで成り立っている

水墨画と運命的ともいえる出会いを果たす。

 

やがて水墨画の巨匠である篠田湖山から声をかけられたことにより、それまで

全く無縁だった水墨画に取り組んでいくことに。

 

そして白と黒だけで命を表現する水墨画に対し、緊張感を覚えつつも、これまで

体験したことのなかった、水墨画が持っている独特の世界観に魅了されていく。

 

 

 

まとめ

主演が横浜流星という旬の若手俳優であることと、古風な内容とのギャップが

興味を惹かれる。どのような作品に仕上がるのか、楽しみでしかありません。

 

公開は、2022年10月21日(金)

見逃せませんね。

 

最後までありがとうございました。

ゆうすけ

 




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