峠最後のサムライ(映画)のタイトルの意味とは?原作者の意図や小説との違いについても
映画『峠最後のサムライ』が2020年9月25日(金)に公開されます。
司馬遼太郎さん原作の名作小説『峠』の実写化作品です。ファンのみならず、時代劇
ファンからも大注目です。
ということで、映画『峠最後のサムライ』のあらすじや内容、またタイトルの意味や
タイトルに込められた原作者の意図、そして原作小説との違いについてまとめました。
※新型コロナウイルスの影響で公開が延期になりました。
公開日が決まり次第、追記します。
映画『峠 最後のサムライ』60秒予告 9月25日(金)全国公開
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峠最後のサムライ(映画)のあらすじ(内容)
物語の舞台となるのは戊辰戦争によって日本が真っ二つに割れていた1860年代。
そしてその主人公は、現在の新潟県にあたる長岡藩の家老:河井継之助。
日本史ファンには人気が高い時代だといえますが、この大変なご時世に死力を尽くし、
戦っていく、河井継之助の姿が描かれていきます。
開幕以来、実に250年以上の長きにわたって続いてきた徳川の世も、とうとう終わりを
告げました。それは大政奉還が行われたから。ところがすんなりと平和的には進まず、
日本はこの後、討幕派と佐幕派に別れて、烏羽伏見の戦いを契機として、戊辰戦争へ
と突入していくことに。
こうして大小問わず、日本中の様々な藩が、この争いにそれぞれの立場から巻き込ま
れていくのです。
そんな中、越後に位置する小規模な藩の長岡藩では、家老である河井継之助が画期的
な立場を打ち出していました。なんと河井継之助は、討幕派でも佐幕派でもない中立
の姿勢を取ろうとしたのです。
河井継之助は、あくまでも長岡藩の民衆を守ることこそが大切だと考えていたのです。
しかしそんな河井継之助の考えもむなしく、話し合いは決裂に終わってしまい結局、
徳川家への忠義のために戦いに身を投じていくことに。
戦いなどしたくなかった河井継之助でしたが、この戦の結果、彼をそして長岡藩を
待っていたものとは、いったい・・・?
峠最後のサムライ(映画)のタイトルの意味とは?
映画『峠最後のサムライ』のタイトルを見たとき、『最後のサムライ』だけなら納得
なのですが、この『峠』というのが気になりました。
いったいこのタイトルの意味とは?なんなのか?
まず気になった『峠』というのは『榎峠(えのきとうげ)』のことでした。
榎峠とは新潟県にある峠で、河井継之助は戊辰戦争において、ここを戦略上の重要な
位置に定めていました。
また河井継之助の行動といえば、和平を目指す上での慈眼寺での会談がありますが、
これを指しているという見方も出来なくもありません。
そして『最後のサムライ』は、河井継之助その人のことかと思われます。
従って『榎峠の河井継之助』ということではないでしょうか。
このようにタイトルを見つめ直すと、感慨深いものがありますね。
峠最後のサムライ(映画)のタイトルに込められた原作者の意図とは
映画『峠最後のサムライ』の原作小説『峠』のタイトルに込められた司馬遼太郎さん
の意図とは、どういうものだったのでしょうか?
司馬遼太郎さんは、河井継之助が、商人、工人のように藩改革をしつつ、最終的には
武士であり続けたことを指摘し、長岡藩くらい最後を見事に表現した存在はないと
語っています。
肝心の『峠』というタイトルは、峠の地形でこのことを表現したとのこと。
まさか、ここまで意味深長だったとは、さすがは日本を代表する歴史作家だと脱帽
してしまいますよね。
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峠最後のサムライ(映画)と小説との違いについて
さて映画『峠最後のサムライ』と原作小説『峠』に何か違いはあったのでしょうか?
小説版では、河井継之助が長岡藩に勤める前の人生から描かれています。
しかし、映画版では、河井継之助をベテランの役所広司さんが演じること、他に
河井継之助の若い頃役のキャストがいないことから、映画版は、河井継之助が
家老になった後から始まるのかもしれません。
また小説を映画化する以上、尺の関係で、登場人物やシーンがカットされたり挿入
されたりすることもあるでしょう。こういったことを考えると小説版を読んでいる
という方も映画版では少し違った角度から観ることができるかもしれません。
こちらも合わせてご覧ください。
まとめ
映画『峠最後のサムライ』は、壮大な歴史群像劇になることは必至。
しかしながら、ひょっとしたらストーリーの始点は、変わってくることになるかも
しれませんから、ここには要注意かもしれません。
またキャストも超豪華となっていますので、見どころも満載です。
公開は、2020年9月25日(金)
今から公開が楽しみです。
最後までありがとうございました。
ゆうすけ